あなたは、自分自身のことをズボラだと思いますか?
それとも、几帳面だと思いますか?
さらに、その自分自身の「ズボラさ」や「几帳面さ」をどのように感じていますか?
今回は、
「ズボラ」であることと「几帳面」であることの、本質的な違いを言語化し、
良いとか悪いではなく、気質を客観的にとらえて活用していこうよ!
という記事を書いてみました。
自分の「ズボラさ」や「几帳面さ」で生きづらさや不便さを感じた時に、役に立つ思考かと思いますので、参考にしてみてくださいね〜♡
私は「几帳面だね〜」と言われることが多いよ〜。
誰でも「ズボラ」な部分と「几帳面」な部分を持ち合わせている
そもそもの話なのですが。
誰でも「ズボラ」な部分と「几帳面」な部分は、両方持ち合わせているんですよね。
「私ズボラなんだよね〜」
「あの人、几帳面だよね〜」
という会話は誰しもしたことがあるかとは思いますが、「〇〇な人」という表現をすると、あたかもその気質しか持ち合わせていないみたいなニュアンスになってしまいます。
ですが、
いつ、誰の目線でとらえたときに、どちらの気質が目立っているか
という話であり、100%の純度で〇〇な人、というのは存在しないという解釈で過ごしたいものです。
生理前はなんだか全てにおいてズボラになっちゃう・・・みたいな時系列的な部分もありますよね〜。
「ズボラ」と「几帳面」は関心度に違いがある
次に、「ズボラ」と「几帳面」についての本質的な違いを考えていきたいと思います。
まずは参考までに、言葉的には、以下のような解釈らしい。(goo辞書で調べてみたよ。)
ずぼら
行動・性格がだらしのないこと。また、そのさまやそのような人。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/ずぼら/
几帳面
細かいところまで、物事をきちんと行うさま。決まりや約束にかなうように正確に処理するさま。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/几帳面/
goo辞書的には、
「ずぼら」より「几帳面」の方がちゃんとしていて良い!
みたいなニュアンスを感じます。
ただこれだと、几帳面が正義!みたいな結論で終わってしまいそうなので、やはり自論を述べていくよ〜。
で、私の結論としては、「ズボラ」と「几帳面」って
関心度の違い
が違いを生む大きい要素なのではないかなって思います。
あるものごとに対する関心度が低ければ、そのことについては「ズボラ」になり、逆に関心度が高ければ「几帳面」として行動に現れる。
ここが双方の違いの本質なのかなって思います。
さらに言えば、
自覚がなければ、不自由さは特にない
というのも1つの特徴なのではないでしょうか。
- 部屋が散らかっていても何も思わなければ、自分が「ズボラ」とも感じない。
- 1つ1つ丁寧に書類を整理することが当たり前であれば、自分が「几帳面」とも思わない。
「ズボラさ」や「几帳面さ」に不自由を感じるのは、
度が過ぎるケースか、
他人からの指摘が伴うケースであり、
それ以外は本人も気づかないところでズボラや几帳面と共存しているのではないでしょうか。
次の見出しからは、「ズボラ」や「几帳面」がメリットに働く時の関心度と、デメリットに働く時の関心度について紐解いていきます。
自分の関心度って、今どれくらいなのかな?
と、自問自答しながら読み進めてみてくださいね〜。
「ズボラ」の関心度
まずは、「ズボラ」の関心度について考察していきます。
ズボラは几帳面の反意語ですので、関心度についても正反対に位置しています。
つまり、
ズボラである状態というのは、そのものごとに対する関心度が低い
とも言えるのではないでしょうか。
私は20年間、汚部屋族だったのですが、そのころの私は
- 部屋の片付け(という行動)に対して関心度が低い
- 部屋が片付いている状態のメリット(頭がスッキリするとか)に関心度が低い
まさに、こんな感じでした。
関心が低いと言っても、1つの側面だけで考えるのではなく、「行動」「それによって得られるメリット」など、多方面の関心度が作用していきます。
現に、中学校の頃、彼が部屋に遊びに来る日は、全力で部屋を片付け(ものを隠しただけ)してましたし。
それは、片付けという行動に関心度が高まったのではなく、彼に対する関心度なので、次の日にはまた散らかり放題でしたけどね。
片付けがしたいのに出来ない!という場合は「方法がわからない」のであって、関心度とはまた違う話だよ〜。
他にも、化粧をするかしないかという場面においては
- 化粧をするという行動に対する関心度
- 化粧をしている自分が得られるメリットへの関心度
- 化粧品に対する関心度
これらが左右しそうですよね。
「ズボラ」がメリットに働く時の関心度
では、関心度の低さがメリットに働く時は、どのような場面なのでしょうか。
goo辞書では、「行動・性格がだらしのないこと。」と表現されていますが、関心度の高さでの解釈で「ズボラ」を紐解くと、メリットに働くケースは多々あります。
まず大前提として、
人間は全てのことに意識を向けることは出来ない
ということを念頭に置いておきたいところです。
毎日の生活をしていくうえで、全てのものに関心を抱き、エネルギーを注いでしまっていては、普通に疲れますよね。
だからこそ、「ズボラ」という状態であることは、
力の抜きどころ
であり、生きていく上でのセーフティとも言えるのではないでしょうか。
- 育児にエネルギーを注ぐママが、すっぴんで保育園を送迎するのは、エネルギーの注ぎ先を絞っているから。
- 電気をつけっぱなしにしてしまうのは、他に意識を向けるための温存。
本人は関心が低いだけなので、自分のズボラさに気づかないケースは多々ありますが、
自分のズボラさによって、エネルギーの分散が上手く回っている
ととらえると、ズボラに関する見え方って変わってきますよね。
それぞれのキャパシティーの大きさも違うから、誰かと比較する必要もなーい♡
「ズボラ」がデメリットに働くときの関心度
自分たちの暮らしが上手く回っているという点では、ズボラはメリットでもありますよね。
ただし、デメリットに働く時の関心度というのももちろんあります。
それは、
他人との関わりの中での弊害が生じた時
に現れてきます。
- 時間にルーズで、人を待たせがち
- 靴を脱ぎ散らかして、妻に指摘される
- 几帳面な人と比較して、「これじゃだめかも」って感じる
このような時に、ズボラのデメリットを感じるのではないでしょうか。
地球上にたった1人で暮らすのであれば、無関心であることの弊害はなさそうですが。
バランスを取りたい時の対策
ズボラは自分を枯渇させないためのセーフティでもありますが、やはり人との関わりの中で弊害が生じた時。
その時の対策としては
関心の矛先を設定してみる
というのは、1つの方法になるんじゃないかと思います。
- 時間の管理に関心がもてなくても、今から会う人の「時間(命)」に意識を向けてみる。
- 誰かの時間に関心がもてなくても、「時間を守ることで高まる自分の評価」に意識を向けてみる。
- 玄関の整理整頓に関心がもてなくても、「運気を上げる」という観点で意識を向けてみる。
- 「とにかく妻に機嫌よく過ごして欲しい」という視点に意識を向けてみる。
あと、几帳面な人と比較して「私、これで大丈夫なんけ?」とモヤモヤした場合は、
自分にとって関心が高いことってなんだろ〜。
と羅列してみると、自分のエネルギーの注ぎ先を知ることにつながります。
その上で、「あの人と同じことに関心度を上げる必要ってあるのかな?」と考えてみてもいいんじゃないかなって思います。
関心度によるものなのか、「方法がわからない」のか、このあたりは区別したいところです!(※大事なことなので2度目w)
「几帳面」の関心度
次に、「几帳面」についての関心度について考察をしていきます。
さきほどの「ズボラ」とは違い、几帳面の場合は
関心度が高い
というのが、特徴になりますよね。
几帳面に関しては不自由さを自覚するケースも多いので、真面目な日本人にとってはネックに感じる人も多いのが現状です。
「几帳面」がメリットに働く時の関心度
まず、几帳面がメリットに働く時の関心度についての解説なのですが、
単刀直入に言って、几帳面がメリットに働くのかデメリットに傾くのかの違いは
執着があるかどうか
というのが、大きなターニングポイントなんじゃないかなって思います。
執着によって、自分にも他人にも制限がかからなければ、メリットに働くことが多いはず。
- 整理整頓がいきとどいて、スッキリした部屋になる
- 探し物をする時間がない
- 仕事がていねいで、信頼してもらいやすい
- 金銭的な管理により、お金のことで困りにくい
いいことだらけです。
さらに、関心の矛先が似ている人との交流は、関係性が深くなるし信頼性もあがります。
健全な範囲の「几帳面」であれば、本当にいいことばかりなんですよね。
「几帳面」がデメリットに働くときの関心度
メリットが大きい「几帳面」。
その反面、関心度が高すぎると弊害も感じやすいのが「几帳面」の特徴でもあります。
さきほどもお伝えした通り、関心度が高すぎると、「こだわり」を経て執着に移行します。
執着と化した場合は、生きづらさを感じることも多々あります。
- ものが1つでも落ちていると、気持ちがざわざわする
- 靴下を脱ぎっぱなしにしている夫に、イライラする
- 少しでも時間に遅れそうになると冷や汗が止まらない
- 逆に、誰かが1分でも遅れると怒りがわいてくる
几帳面がいきすぎると、「神経質」と呼ばれることもありますが、
自分や他人の行動の自由を狭くする
という点で、生きづらさを感じてしまいますよね。
だからこそ、
もっとズボラになりたい。
と感じる時もあるし、エネルギーを注ぎすぎて疲労を感じる現状をなんとかしたい悩んだりしてしまします。
バランスを取りたい時の対策
几帳面がいきすぎて、ちょっと窮屈になった時。
そんな時の対策としては、
- 自分を「几帳面な人」「神経質な人」とレッテルを貼るのはやめる
- 何に対して関心度が高いのか、分析してみる
- 「几帳面」というより、脳の神経回路が敏感な「HSP」かも?と分析してみる
この3つを挙げてみました。
①自分を「几帳面な人」「神経質な人」とレッテルを貼るのはやめる
まず1つ目として、
自分を「○○な人」と分類するのは辞めよう
という点です。
几帳面な人って、多かれ少なかれ、
「真面目だよね〜。」
「神経質だよね〜。」
なんて、言われたことがあるのではないでしょうか。
否定的に受け取った場合は、なんだかモヤモヤしてしまいますよね。
ただ、今一度おさえておきたいのは
誰しも、ズボラな部分と几帳面な部分を持ち合わせている
という点と、
ズボラさも、几帳面さも、メリットデメリット双方ある
という点です。
だから、「〇〇な人」という表現よりも、
- 私は片付けに対しては関心度が高いことが多い
- 私は片付けられたスッキリした部屋が好き
みたいに、具体的に自分のことをとらえてみてはいかがでしょうか。
「〇〇な人」と表現するよりも、柔軟に気質を生かせそうだよね。
②何に対して関心度が高いのか、深掘りしてみる
次に、
何に対して関心度が高いのか
を、深堀りしてみることもおすすめです。
- そのこだわりを続けることで得られること
- そのこだわりを手放すことで得られること
これらを言葉にしてみてください。
自分にとってのこだわりを分解していくと、
妥協できるポイント
というのが、見つかるかも♡
他に関心度が高いものごとがあると、今までのこだわりがどうでもよくなったりもしますよね。私は仕事への関心度が高いときは、家事がズボラになりがちです。(洗い物が1つでもあると、すぐに洗うタイプだったのに、最近は山積みにしがち…。)
③「几帳面」というより、脳の神経回路が敏感な「HSP」かも?と分析してみる
今まで自分は「几帳面」とか「神経質」だと思っていた方も、もしかしたらHSPである可能性もあるので、そちらも視野にいれてみるのはおすすめです。
「HSP」はひといちばい敏感な気質であり、ものごとに反応しやすい脳の神経回路の持ち主で、人類の5人に1人の割合で存在しています。
音や光、雰囲気などの刺激に対して繊細だけでなく、「気づく」能力も高いため、細かいことに対して几帳面という形で気質が現れている人も多いのでは。
私は自分が「HSP」であると知ってから、
夫が気づかないことを、自分が気づいてしまうだけ
と認識することができ、「気づかないもんは、しょーがない。強要するのはやめよう。」って思えましたw
行きすぎた時は、関心度の高さを意識して調整を!
「ズボラ」であることも「几帳面」であることも、それぞれメリットとデメリットがあることは実感していただけたでしょうか。
そして、誰しも
「おおざっぱな部分」と
「ちゃんとしたい部分」。
双方を持ち合わせていますよね。
だから何が言いたいかというと、
どっちが良くて、どっちが悪いかという捉え方はやめよう
という話です。
関心度が低すぎて弊害がでたとき、逆に関心度が高すぎて窮屈になったとき、そんな時は
関心度の高さや矛先を調整すればいい
という部分だけ、頭においておけばいいのではないでしょうか。
几帳面な部分が多い私にとっては、ズボラな人の考え方とかは「力の抜きどころ」として参考になるな〜って思います。