「気が済む」までやらせてあげるという子育て!甘やかしにしないための考え方を考察

Instagramで発信したニワトリの件の

「気が済む」までやらせてあげる子育て

について、さらに考察してみるよ〜。

\この3つの投稿/

  • 子どもにはやりたいことを、やらせてあげたい
  • 子どもが集中していることは、最後までやらせてあげた
  • 子どもにたくさん経験させてあげたいけど、甘やかしとの線引きが難しい

という思いがあるママは、

「あ〜、そういう考え方もあるのね」

みたいな感じで読んでもらえると嬉しいです。

目次

やりたいことをやらせてあげるって、甘やかしにも見えるよね

やりたいことを気が済むまでさせてあげるって

なんだか甘やかしている気もする

っていう思いもあると思うんだよね。

  • 毎月ディズニーランドに行きたいって言われても、経済的に無理やねんってこととか。
  • 奮発したトリートメントのポンプ、無限にプッシュする遊びやりたいって言われてもかんべんしてよ、とか。
  • ぬいぐるみを使ったごっこ遊び、ずーーーっとやろ?とか言われても、いや私、ごっこ遊び苦手やねん、とか。

UFOキャッチャー、取れるまでやらせて!とかも、全部叶えようとしてたら

甘やかし

ともとれますよね。

 

まぁ、そういう線引き的な観点について

次の見出しから私の意見をまとめてみました。

主張をそのまま実行しなくても、気が済む道はある

まず考えたいのは、

「気が済むまでやらせてあげる」という定義

なんですけど。

私は、子どもの主張をそのまま実行しなくても「気が済んだ」を経験させてあげることは出来るんじゃないかなって思います。

要は、気持ちが満たされれればOK、みたいな。

気持ちが未完にならなければOK、みたいなね。

 

ニワトリの件で考えてみると、

まずさ「ニワトリ飼いたい」って言われた時に、親としては

「まじかw」ってなるやん。

いろいろ考えても

現実的じゃないなーって

感じる親が多いと思うんだけど。

でもその時に「わかった、飼おう」って言っちゃうのは、

親の葛藤を生む原因

になると思うんだよね。

だって親としては

ニワトリは飼うもんじゃない

ニワトリ、飼いたくない

って思っているわけでして。

親の感情や意見をころしてまで子どもの一言に合わせるのは、どこかで歪みが出てくると思う。

 

じゃ〜、どうするかっていう話なんだけど。

私としては、「ニワトリ飼いたい」って言い出した

その思いや経緯を聴いてあげる

ことから、はじめたらいいんじゃないかな〜って思うんです。

 

なんでニワトリ飼いたいと思ったのか。

〇〇ちゃんが犬飼ってるって言ってたから、私も何か飼いたいって思って。

って言うかもしれないし。

(もうそしたら、ニワトリじゃなくてもいいかもしれないよね。)

YouTubeでニワトリ飼ってるのをみて、すごく可愛いと思った。

って言うんだったら、

ニワトリを可愛いと思ったその心をまずは尊重してあげたらいいと思うの。

いきなり

「じゃ、じゃぁ、じゃあニワトリ飼おうか。」

っていう選択肢にとばなくてもいいと思うんだよね。

「気が済む」っていうのは

最初にふと頭に浮かんだ選択肢が実行される

とは限りませんもんね。

まどか

大人でもさ、あるやん。なんかふと「南の島でも行きたいな〜。」って思うこと。でもそれに対して、「わかるぅ〜。」って言ってもらえるだけでちょっと気が済んだりね。

どうしてもニワトリが飼いたいって思ってママに話してみたら、

「それは無理!」って言われてしまうパターンと。

どうしてもニワトリが飼いたいって思ってママに話してみたら、

「どうして飼いたいって思ったの?」って聞かれて、

「可愛いしお世話してみたい」って答えたら

一緒にニワトリの買い方を調べてくれて

ひよこからすぐに大きくなっちゃうことも分かったし

なかなかなついてくれないことも分かった。

実際にニワトリをたくさん見につれてってくれたら

思ったよりクサイことも分かった。

たしかに可愛かったし、一緒にニワトリを見に出かけたことは楽しかった。

でも、小屋をたてるために庭が小さくなるのはちょっと嫌かな。

なんか、ニワトリの件、気が済んだわ。

って思えるパターン。

どっちも「飼わない」という現実なんだけど、

気が済んだのか、未完なのかの違いは大きい

と思うんだよね。

親としても、子どもが「ニワトリ飼いたい」なんて言ってくれたもんだから

「あ、ニワトリってこんなんなんだ」

っていう発見を子どもと共有できたり。

なんだかんだニワトリと触れ合ってる我が子可愛いな〜って思えたり。

子どもの好奇心のおかげで、そんな経験をできたのであって。

親も子も気が済む選択肢ってあると思うんだよね。

大事なことは

選択肢ってまだ他にもある!っていう確信を持って探ること。

そして、

子どもは親よりも無知だっていう固定概念を捨てること。

ここに尽きるのかな〜って。

まだまだ子育て試行錯誤中の二児の母のぼやきですがね。

共同生活という観点を教えてみた

ニワトリの件とは別の日に、

ご飯の用意ができたタイミングで「お絵かきやりたい!」

って娘(5才)がゴネたこともありました。

もちろん心の中で「チッ」って言ったし、

もしかしたら、「チッ」って口で言ったかもしれない。

ここでもさ、

やりたいことは、気が済むまでやらせてあげたい!

っていう概念にしばられるとさ、

  • ご飯冷めるっちゅーの!
  • 片付けが遅れてくやんか
  • てか、お腹すいたんですけど

っていう不満を抱えながら、娘のおえかきを眺めることになるじゃないですか。

そこまでしちゃうと、「やりたいことは、やらせてあげよう」という言葉がもう呪いのごとくのしかかってきますよね。

旦那が夜ご飯の時にいない場合は

あ、ほな隣で先に食べてるわ〜。気が済んだら食べーや。

なんて適当にやりくりしていますが、家族全員がそろう夜ご飯って、ちょっと特別じゃないですか。

そういう時くらいは、ゆっくり席についてみんなでご飯を食べたいっていうか。

(娘と自分だけのときの昼ごはんって、キッチンに座り込んで塩おにぎり食べたりしてるしね。これもこれで、楽しいんですけどね。)

だからこそ、こう伝えてみたんです。

おえかきしたい気持ちもすごくわかるよ。今したいんだよね。でも、〇〇ちゃんは自分1人でご飯をつくったり、お片付けしたりはまだ出来ないでしょ?だから一緒に暮らしてるママがやるんだけど。できないことをしてもらうときは、その人のペースに合わすことも一緒に暮らしていく上では大切なことだったりもするよ。ママに協力してくれる?まずは今からご飯を食べて欲しいんだけど。

って伝えました。

そしたらね。

娘は私にニッコリ笑って「うん、わかった!」と納得したんです。

キレてました。

え、そんなに怒る?

その声量の金切り声、どっから出してんの?

声帯の仕事量すごない?

くらいにね。

そのかわり、いつもは残す、にんじんシリシリをちょっと食べてたから、何か伝わったかなって。

希望的観測です。

まとめ

まぁ、まとめるとですね。

「気が済む」の道を模索してみることが、子育ての面白いところでもあるのかなーって。

自分にとっての「気が済む」も大事にしていかないとねーって。

そんな感じ。

私は「子育てはこうしたらええで!」って声高らかに言えるほどの母親ではないんで。

模索中のママの独り言だな程度にとらえてもらえたら嬉しいです。

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この記事を書いた人

4才0才の女の子のママ。
在宅フリーランス5年目。
小さな幸せを大事にしながら暮らしたい。
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