時間は有限だから、無駄なことをしている暇はない!
という意見も、なんだかごもっともな気はしますが。
時間は命そのもの。無駄にしてはいけない・・・。
ということが、常に頭にあると、
こんなことをしてて、いいのだろうか
と、いちいち考えてしまい、ゆっくり過ごしていることに罪悪感さえ抱いてしまいますよね。
現に、「なんだか最近、疲れちゃって。」という相談をいただくことも多いです・・・。
そこで、今回は
「時間を無駄にはしてはいけない」の呪縛から解放されるための考え方
について、考察していきます。
時間の捉え方や過ごし方について、もっと穏やかに捉えたいな〜って方に、なにかしら発見や気づきがあれば幸いです♡
よく言われる「無駄な時間」を羅列してみた
まずは、世間一般的によく言われるような「無駄な時間」って、どんなものがあるのか、思いつくものを書き出してみました。
- 目的のないネットサーフィン
- のり気じゃない飲み会への参加
- つい、ぐだぐたやってしまうゲーム
- SNSを見ることによる他人との比較
- やりたくもない仕事
うん。
確かに字面(じずら)を見ていると、なんだか「無駄」の匂いがただよってきます。
「時間は有限!無駄にしてはダメ」がしんどい時に考える3つのこと
一般的に考えられそうな「無駄な時間」についてのシーンについて、羅列してみましたが。
ここからは、
「時間は有限!無駄にしてはダメ」の考え方にプレッシャーを感じて、しんどい気持ちになっている時に考えてみるべき3つのことをお話していきます。
①自分が考えている「無駄な時間」の定義
まず1つ目に考えてみていただきたいのが、
自分自身が考えている「無駄な時間」の定義
です。
さきほどは、よくありがちな無駄な時間の場面を、いくつか書き出してみましたが、あなた自身が考える「無駄な時間」の定義を言葉にしてみてください♡
おそらく、「時間は有限!無駄にしてはダメ」という考え方にしんどさを感じている方は、どこかの誰かが言っていた
- 時間は命そのもの!無駄になんかしてられないっ。
- 私は今日も1分1秒無駄にせず、進んでいくの!
みたいな言葉や態度から、影響を受けているんじゃないかな?と思います。
だからこそ、今一度、
「無駄な時間」について、受動的ではなく、能動的にとらえてみてはいかがでしょうか。
「無駄な時間」の定義については、例えばこんな意見が出てくるかもしれません。
- 生産性がない時間
- 目的意識のない時間
- 何も考えていない時間
- ただ流されて受け身になっている時間
- やりたくもないことをやっている時間
- 報われなかったことに費やした時間
どの定義が正しいとかじゃなく、現状として今の自分が信じている考え方について把握するというのが大事です。
自分自身が主体的に思考をめぐらすことができれば、少なくとも他の人が言っている「無駄な時間」との考え方に振り回されることもなくなっていきます。
②無駄かどうかは判定しにくい!ということ
自分自身が考えている「無駄な時間」についての定義について、考えていただきましたが。
次に、考えてみていただきたいのが、
無駄かどうかって、判定しにくいよね
という点です。
例えば、ぐだぐだとネットサーフィンをしてしまって、
うわ〜、無駄な時間過ごしたな〜。
って感じてしまったとしても。
その時に、たまたまたどりついた言葉や情報が、半年後に仕事で生きてくるかもしれません。
ほかにも、
先輩に誘われてついていった飲み会、
上司のぐちばっかりで無駄な時間だったな〜。
って感じてしまったとしても。
その時に、飲み屋でバイトしていた人と恋に落ちるかもしれません。
え〜、そんなのご都合解釈だよ〜。
って思うかもしれませんが。
いつかの何かの経験が、伏線として回収されるには、いつだって時差がつきもの
であることは、間違いないはずです。
あらゆる事象のレスポンスが早くなった現代だからこそ、費やした時間に対して対価が得られることにも、スピードを求めがちなのかもしれないよね。
③過ごした時間の価値についての尺度を、変えてみよう
費やした時間が「無駄」だったのかどうかは、長期的にみたら判断が難しいところだよね〜というお話をしました。
それを踏まえて、
「無駄」かどうかの尺度をやめて、こんなモノサシで時間の過ごし方について天秤にかけてみたらどうかな?
ということについて、提案していきます。
(「無駄になるかどうか」という尺度で、今から何をするか決めるのって、めっちゃしんどいですもんね。)
で、無駄かどうかの尺度の代わりに使うモノサシについてですが、
ずばり、
「快」を感じているか、「不快」を感じているか
です。
しかも、条件として
そのことを実行中に、どう感じているか
というのも、大事なポイントです。
例えばですが、
テレビを見ながら、だらだらとスマホゲームを1時間やった
ことについて。
それって、少なくとも不快じゃないからやっていたんですよね。
なんなら、「快」だったから1時間も続けられたんです。
無意識で不快なことを続けられるほど、人間って忍耐強くないですよね〜w「めっちゃ漏れそうなのに、無意識に1時間トイレのこと忘れてたわ〜」なんてこと、ないはず。
でもそこで、「生産性がない時間は、無駄な時間!」という固定概念があれば、たちまち不快な気分になっていきます。
少なくともその場では楽しさを感じていたスマホゲーム。
その時に感じていた「快」も、たちまち後悔と罪悪感の感情に沈んでいってしまいます。
(感情を、「快」「不快」という2択に分けた表現です。詳しくは下の記事にて。)
④本当に必要なことは、自然に「快」を感じられる工夫なのかもしれない
時間を無駄かどうかではなく、「快」か「不快」かというモノサシでとらえてみては?というお話をしましたが・・・
え、ちょっと待って待って!スマホゲームばっかりやっていたら、仕事になんないんですけど〜!達成したいこととか、目標とか、そこにフォーカスしていく時間も大事なんじゃないですか〜?
なんていう声も聞こえてきます。
たしかに、いくら「快」を感じる時間の使い方が健全だよね!みたいなことを言っても、それだけでは受験は合格しないし、お仕事だってすすみません。
ただね、そんな時に考えてみてほしいことは
自然に「快」を感じられることを、お仕事にしていない、そんな状況に改善の余地があるのでは?
エネルギーが自然にわいてくるような、そんなモチベーション作りができていない、そんなやり方を変えていくべきなのでは?
という点です。
頑張れないのは、「快」を感じられていないから。
もしかしたら、本当に必要なのは、
自分に厳しく頑張り続けるという時間の使い方自体が、「無駄な時間」かもしれない、という視点を持つ勇気。
かもしれません。
大事にすべきは、今この瞬間の感覚
ここまでのまとめとしては、
- 自分自身で「無駄な時間の定義」を考えてみることで、誰かの言う「無駄」の解釈に振り回されなくなる。
- 体験が反映されていくのに時差がある!「無駄」になるかどうかの判断は難しい。
- 「無駄」かどうかの解釈から、「快」「不快」のモノサシに変えてみよう。
- ついつい時間を費やしてしまうことには、少なからず「快」を感じている!改善すべきは方法や方向かも。
そして、個人的な意見にはなりますが、
人は日々の選択の中で「快」を感じる方を選び、肯定的な感情で過ごせる時間を増やすことが、自分らしい生き方をすることに繋がると考えています。
そして、自分らしい生き方というのは、一見すると「無駄」に感じられる時間の中にも存在しています。
「時間を無駄にはしてはいけない」という考え方がしんどくなってきたら、
思い切って無駄かどうかの尺度自体を、手放してみてはいかがでしょうか。
「不快」を感じていることについては、断る勇気も!